【音と言葉と身体の景色】
〜4人の舞台人による、4つのソロ〜
《身体の景色について》
岡野暢
昔、公演のため、とある国の、とある街に降り立った時のことです。
空港ではそれ程でもなかったのですが、市内へ移動するバスの中で、僕は、僕の皮膚に突き刺さる何かがどんどん大きくなっているのを感じていました(それが何であったのかは、今でも正確にはわかりません)。
そしてそれは、僕がバスを降り立った瞬間に、僕の中の黒い塊と結びつき、僕に思い出したくない過去の屈辱を思い出させました。僕は瞬時にしてその記憶から立ち上がる、深い、強烈な怒りに支配されてしまいました。
一歩、また一歩と僕は異国の街を、全身に怒りをまといながら歩き続けます。
怒りはほとばしる泉の様に後から後から幾らでも溢れ出していました。
行き場のない暴力的衝動。
僕は拳を握りしめ、じっと前を睨み、歩き続ける以外他どうしようもありません。
異国の街角に立つ銃を構えた兵士が僕を睨み付けていました。
僕はその兵士が睨み付けている前で、その兵士の銃を借り、二人の男を、僕の想像の中で殺していました。
街は演劇祭で湧き立っていました。
大勢の人々が昼間から酒を飲み、笑い、踊り、唄っていました。それら陽気な喧噪が織り成すごった煮の中でさえも、僕は憎悪は微動だにしません。憎悪は身じろぎ一つせず、真直ぐに僕の中に立ち続けていたのです。
街の中央には広場がありました。
その広場には仮設舞台があり、その舞台の周りにもやはり大勢の人々が群がっていました。
舞台では、白いワンピースを着た女性が一人、音もなく、静かに踊っていました。
僕は足を止め、ワンピースを一枚まとっただけのその身体を何気なく見つめます。
数分後、僕の憎悪は消えていました。
現象と過程、それらを正確に言葉にすることはできません。しかし、事実としてはこの言葉の通りです。
何気なく見つめていた彼女の身体に、僕の憎悪は中和された。
彼女がどこの誰だかは知りません。無名の貧しい舞踊家かも知れませんし、とても名高い舞踊家だったのかも知れません。それは今では判りませんし、もし判ったとしても、そのこと自体それ程重要な事柄ではありません。あの日、あの場所で、その現象が起きた。僕にはその事実だけで十分です。
あの日、彼女の身体は、ある明晰さの中で、実に明るく、静かに、絶望していました。僕にはそう見えました。とても美しかった。そしてその美しさの奥には孤独がありました。強烈な孤独が彼女の身体の核となり輝いていました。彼女は孤独を実に鮮やかに飼い馴らしていた。
彼女の身体と、広場を含めた街並みと、観客と不可思議な融合を遂げ、形容し難い非日常的な景色となり、穏やかに、夕暮れに押され始めていました。
ソロでなければ出し得ない世界がある。僕はそう考える様になりました。
僕は彼女のソロを「身体の景色」と名付け、そして今回《企画・制作: 身体の景色》と致しました。これは、彼女の身体のイメージと共に僕がこの企画を進めてきたことを意味しています。
僕以外の出演者が皆、女性になってしまったのは、異国の街の広場で踊っていた白いワンピースを着た身体が女性のものであったからかも知れません。
彼女を見たのはもう十年も前のことです。
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