チェーホフの晩年の演劇史に残る作品群に比して「プラトーノフ」に見出すべきところがあるとしたら、それは、こういう人間たちがいて、その誰もがやむにやまれぬ衝動によって、実を結ばぬことを口走り破滅に向かう。それがまさに作家の衝動とほとんど重なっているように感じられるということだ。ここにはこの後のチェーホフの全てがあり、チェーホフの成熟はここに現れた衝動を整理して美しく整えることにあった。それは一言で言えば、ドラマは「世界」と「個人」の関係にあるということで、我が国の新劇も畢竟ここに始まったもので、そこに生まれた私たちのような小劇場の一集団も、これを継承し「演劇」というものの深さに降りて行くことがその唯一の道と信じている。私たちが稽古を始めた昨年は、スタニスラフスキー生誕150周年にもあたっていたらしい。

構成・演出 原田一樹