劇団キンダースペース第40回公演 「白痴」 〜坂口安吾「白痴」他より〜 

 

作家は基本的には人が「なぜ生きるのか」ということが創作の初めの衝動である。しかし、それ以前に人は生きているわけで、このあらかじめの「生」を否定的に、あるいは、本来、より理想に近いものであるととらえようとした時、様々な嘘が生まれる。曰く「国のため」「主義のため」。
これはもちろん欺瞞だが、人が生きていくためには必ず付いて回るものである。
……ということを安吾は戦争の始まるずっと前から見抜いてしまった。
では「なぜ生きるのか」。
安吾にとってこれはおそらく「なぜ生きているのか」という命題に変わっていった。
もちろんそんなことはワカラナイ。
そのワカラナサがすとんと現れる瞬間。
「演劇」で、安吾に迫る道は、結局はここにしかないような気がしている。

原田一樹


 〈あらすじ〉
坂口安吾の「白痴」 「戦争と一人の女」 (「続戦争と一人の女」「青鬼の褌を洗う女」を軸に、安吾の「堕落論」を人物の内面として、戦中の日本人群像を描きます。 ある日、間借りしている離れに戻ると、蒲団の横に白痴の女が隠れていた。ただ関係を求める姿。「私」はその女こそが人の本当の姿と思い一緒に暮らしだす。空襲は激しさを増し、すべてを失い焼け出された「私」は女と布団一枚を持って朝を迎える。この焼野原こそが私たちの夢想した「国家」の本来の姿なのかと、問いながら。