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連日のように職場の昼休みに息子と公演の話になっています。掲示板の書込みを巡っての自分の感想との違いを言い合ったり、飽きずにいろいろな方向からいじり回しています。 「時代」の三人の登場人物の性格の違いなど話している内に、それぞれが違う役を演じたらどうだったかなあ…という話になり、想像がかき立てられました。日替わりで…というのは無理でしょうか。そういうのを観られたらいいなあ…と、無責任に思ってしまいました。【お母さん 二日目のアンケート】
「時代」は三人の掛け合いの妙を楽しませていただきました。臆病な奴ほどよく喋る感じがリアルでした。 「家出うさぎ」は『生』の意義と『死』の受け入れを深く考えさせられました。 本当の死とは物体の生命が失くなった時に起こるものではなく、その物体が動かないと認めた人に起こるものだと改めて実感させられました。認めない間は生きているのであり、だれでも直面する「死」の在り方について考えさせられました。 もう一つ、生きることの意味も考えさせられました。時間をかけて自分の中にある「失くしたくないもの」の存在を考えてみることにします。 今回の公演を一度観た時、人生で何かを忘れてきている感覚を覚え、時間をつくってもう一度観たいと思い鑑賞させていただきました。二度目の鑑賞で、忘れてきている失くした意義が見つけられた気がします。何となく流されて生きているが、全ては選択して、現在がある。自分が生きている中で、常に何かを選択しているんだと実感しなくてはいけない。過去があるから現在があるのだと。自分に正直にそれ以上でも以下でもない自分として生きなくては、と強く思いました。【息子さんのアンケート】
演劇を観て感銘が大きい程、すぐには感想は書けないものだと思います。やはりもう少し見れば良かったと思っています。一週間経ちましたが、今でも様々な場面を思って味わっています。だまし絵ではないけれど、そこにはないものを演出する為に随所にしかけがしてあるのだと思います。 「時代」。ほんの16年ほど前なのに、電話などの機器や情報・思想などが驚くほどの変化、変ぼうをとげました。ここに描かれていることは今の環境では、起こり得ないことですが、その分、人間味あふれていて、この頃がなつかしく思い出されます。十二分に伝わらない情報の時代だったから、勘違いや誤解が生じて、そこに人間どうしのドラマがいくつも生まれていましたものね。現代のように便利にデジタル化していく分、アナログな時と時の間を味わったり体験したりすることがどんどん少なくなってしまうのですね。強い思想で引っ張る者がいて引っ張られる者がおり、引っ張られまいとする者もいる。そんないわばフツーのことが、少なくなってくる危機を思いました。この作品を上演する時代によって、注目される文化も変化していくのですね。 「家出うさぎ」。キクさんはワープロに打たれた家出うさぎを読んでいる間に、亡くなった娘が又帰ってきて対話していく夢を見ていたのかなあ…と思いたいです。ヒトの魂は自由で、しばられたりすることがないから、どこにでも飛んでゆける、彼岸にも、此岸にも…。家出うさぎの詩は「ある日、どこかに行きたくなった子うさぎが、どこにも行くのをやめました」で、輪を閉じてもとにもどるように思えるけれど、実は出発してもどってきたものは、出発する前とは微妙に変化していて、もとの通りではないのですよね。いろんなところを旅して内容は変化しているのだけれど、絆は前より強くなっている。本当に行ったんでなくても、そうしようと考えることで、もう変化が始まっているのですから。 娘の言う「成長しているんだよ」という言葉と「フツーなんてないんじゃないの」という言葉が印象的でした。 母親も、いつまでもそこにいると思っていた存在を失って、独自に成長していかなければならない、その拠り所が思い出と、今まで自分が関わってきた時間の厚みや歴史になるのでしょう。キクさんにはその芯のつよさを感じました。女性ってたくましい。いろんなものになることができる。でもはかなくて寂しい存在でもあり、だから失うまいと自分をつよくしていこうとする。それで支えてやっていると思っている者に支えられたり、守っている筈の者に守られたりして勇気づけられていくんですよね。 娘に「あんたが来なくなったら薬飲む」とダダをこねるキクさんが私は好きです。ああいうことのできる人に育まれた娘はとても幸福だったと思いたい。私もあんな風にすねていたりすることがあったので、その時の幸福感がよみがえってきて、ニンマリしてしまいました。 二つの作品で描かれている人と人のつながりが暖かくて気持ちが暖かくなりました。ありがとう!【お母さん 三日目のアンケート】 |