お客様の感想より

9/28

■小泉八雲という人を殆ど知らなかったのですが、同じ文化で生きられた事を嬉しく感じました。

■自分にも当てはまるような場面が見受けられ、感動した(男性)

■ろうそくの火が暗い中に浮かび上がり、風の音に合わせてゆらめくのがスゴいと思った。すすきを置いているのも雰囲気が出ていて良かった。私が観た演劇の中で二番目に小さい劇場だったけど、客の間から出てくるなど工夫して演者と客席が近いのに圧迫感は無かった。短編の話を続けて観るのは初めてだったけど、ハーンとセツが間に入ってくれたのでわかりやすかった。
どの作品もちょっとゾッとするものばかりでしたが「雪おんな」と「死骸に跨がる男」は特に怖かったです。お雪の初登場シーンと巳之吉のもとを去るシーンは鳥肌が立ちました。後者の方は怒りや悲しみや色んな想いを抱えて巳之吉に言葉を残すお雪が印象的でした。「死骸…」の方は語り手の声と死体の背に乗って振り回される男の動きが激しく連動していてスゴかった、ハーンの作品をもっと読みたくなった。あ、私、おしげさん、好きです。(女性)

■感動しました。もう一度小泉八雲を読んでみようと思いました。雪おんな、良かったです。(女性)

■迫力がありすぎ、時々怖かったです。でもすごく内容が濃かったので楽しかったです。(女性)

お疲れ様でした! そして、すばらしい演劇ありがとうございました。
今回は、原作を予習しましたよ、図書館で借りて。頭の中で思い描いた情景より、舞台上のほうがず〜っと
きめ細やかで、感服!(女性 掲示板より)

■超寝不足で、一瞬行くのを迷いましたが、行ってよかった(^^)
グングン引き込まれて堪能しました。大好きなキンダースペースの舞台☆やっぱ流石だわぁ〜と感動しちゃいました♪
ちゃんと本を読んだことがなかったので、今度読もうと思います!(女性 掲示板より)

9/27

本日、二回目観劇。素直に良かったです。お芝居は生き物ですねえ。それに一期一会だなあとも感じました。
具体的にどこが変わったともいえないのですが、ちょこちょこっと変わっている感じがするなか、それよりも全体としてすごくなじんだなあという実感で。
今日はとくに冒頭からの「雪おんな」の場、緊張感伝わって手に汗握りました。Good Job!でしたね。
「和解」以降も随所に少しずつ変わっているのかなあと、お酒が熟成したような丸みを感じました。
多分、観ている自分も変わっているので、正直わからないところもありますが・・
だから生き物ということで。とにかく満足でした。
今回、座る位置を左側最前列にしたのですが、予想以上に見え方に影響しますね。
立体感がでて面白かった。視野角が広く、観るために首を横にふることになるせいか・・
あと1公演ですね。燃え尽きちゃってください。(男性 メールにて)

■浦島太郎を憐れむのは自身を憐れんでいる…という解釈が胸に来た。(男性)

9/27M

■台本も演出も見事でした。台本の中の説明は無くても成立すると思いました。とはいえ、いい芝居でした。(男性)

■いくつかの話をオムニバスのようにつなぐ…というのは目新しいとは思わないのですが、つなぎ方が本当に勉強になります。狭い舞台をひろく使わせる方法になやんでいるだけに。何枚かの写真で一つのものを描く手法があって、それとの共通性を感じました。(男性)

9/26

■たまて箱を開けてしまった私たち。考えさせられる芝居でした。小泉八雲の新宿の家の近くに住んでいます。秋元ちゃん、ステキでしたよ。(女性)

小泉八雲の4つの作品が、お芝居と語りによって、コラージュされています。
小泉八雲の作品は、それなりに知っておりましたし、彼が、ラフカディオ・ハーンという西洋人であったことも知っていましたが
彼が、日本という国に来て、日本という国の何に引かれ、どこに違いを感じ、不思議に思い、そして大切にしていたのかというそういった視点を感じる、いえ、気づかされるお芝居であったように思います。
彼の命日と重なった今日の公演。
なんだか、その魂が漂っているようなそんな空間でありました。
(女性 ブログより)

9/25

■小泉八雲というと高校時代に英語の授業で「kwaidan」を原文で読んだくらい。今改めて思うと、日本人の気づかない「日本人の精神構造」に気づかされる。このところ日本の宗教(心のよりどころ)とは何なのか考えているのだけど、もやもやしているだけ。
さて、公演とても面白く拝見しました。初めて観た友人も喜んでいました。場面転換が鮮やかで、歌舞伎のように科白が語り手に変わったりするところが面白かった。同じ人がいろいろな人物を演ずるのもいつも楽しく観ています。(男性)

■小泉八雲についてはじめて知りました。個人的に「和解」が面白かったです。語り手の女の人の語り口が好きでした。(女性)

■横たわった女の人が死んでいたシーン、鳥肌たった。語りと演者と一体で、とても観やすかった。こーいうのも面白いと思った。(女性)

9/24

■今なぜ 八雲 なのかな、と思いつつ観させていただきました。失くしつつある日本の姿は私も気になるので、その意味で面白かったです。女優陣、良かったです。(男性)

9/23

原田さんの演出した作品は、シアターXやtheatre1010で公演した作品もそれぞれ素晴らしかったけど、やはり小さなアトリエ公演でこそ、彼の凄さがわかると思っている。
今回の作品も繊細で素晴らしい演劇だった。
客席数、40人あるかないかの小さなアトリエ公演で、劇団キンダースペースは演劇界という大海原を突き進んでいると。 早く次の作品が見たい。(男性 ブログより)

■おもしろい。考えさせられる内容でした。大きな場所、小さな場所、どこで演技をやろうと、伝えたい想いがあれば、そんなの関係なく、人に魅力を与えると思いました。(男性)

9/22

■ハーンの夢が現れているような幻想的で素晴らしい作品でした。音楽の効果も良かったです。(男性)

■初めはよくわからなかったのですが、中頃からぐんぐん引き込まれ、なんだかとても良かったと思います。久々にすごかったです。衝撃でした!!(女性)

9/21

■八雲の作品を現代的に解釈した試みを評価します。(女性)

■やっぱ綺麗だね。こんな感じである限り観に来ます。(男性)

■小泉八雲、怪談話が好きだった幼少の頃、よく読んだものです。好きで大事にしていたものでしたので、お芝居観ること、逆にどうかと思いましたが、はかなさが上手に表現され、小泉八雲の世界観、さらに興味持ちました。ありがとう。(女性)

志賀直哉篇に続くシリーズ、私は観劇2作目。
作家の作品を解釈し演劇化しつつ、作家そのものの思いや生き様に迫るというシリーズ。今回は、作家の影が舞台に登場する。パンフレットにも「ハーンと思われる人物」と記される役はカタコトの日本語で「セツと思われる人物」と夫婦のやり取りを見せる。そこにハーンの日本での暮らしや日本文化との接点での発見などが映し出される。それらのシーンをつなぎに物語としては大きく3本。「雪おんな」、「和解+死骸に跨る男」、「茶碗の中」。
モノドラマ由来の語りが多いスタイルと、作者の影が登場することによる背景ドラマとの交錯により一種独特な雰囲気を持った芝居になっている。作家の世界や想いを大胆に推測して興味深い。レギュラー劇団員はもちろん、特に若手の役者さんが重要な役をこなしていて好感。客演も重要な役どころで持ち味を生かして好演。

本編ストーリーは、まずはご存知「雪おんな」。兄貴分を殺した雪女と知らずに、結婚生活を送っていた男が、ふとした気の緩みから雪女のことを妻に話し、別れを迎える。なるほど・・。
秘密を話した相手は本人なのに、からまれるのって・・?という違和感は原作のもの。現代的にはある種理不尽なところが日本的というか、ハーンも感じた日米間の差かと。という理論的理解の面はいいとして、感覚的には、単に趣味かもしれないが、もっとゾクゾクっとする怖~い感じが欲しかったかも。(私、実はホラー映画も大好きです。)知らぬ人のない話であり、意外性が出しにくいところが難しいのだろうなと思慮。私のイメージでは、男は人のいい少し呆けた感じ、だとするとやや神経質に見えるのが少し気になった。

「和解」から「死骸に跨る男」のシーケンス。途中、間がはいるが主人公の男が同じ役者さんで話は繋がっていく。成功した男が偉い人の娘である気の強そうな奥さんを離縁しようと決心する話が前半、後半は前妻を尋ねると実はもう死んでいて・・。この後半は陰陽師がでてきたり、死体が動く場面があったりとやや現代ホラー映画風スペクタクル。表題からして「跨る」だから仕方ないが、も少し和風に大人しくならなかったか。跨った男を乗せて動く死体は馬のような大女を想起させ、不憫な前妻のイメージを損なうのが残念。髪の束だけがせつなく動くというようなわけにはいかないか?

次は「茶碗の中」。ある武士が茶碗に若い武士の姿が写っているのを、強引に飲み干すと、飲まれた本人やらその関係者が現れ・・。武士役、大音声の呼ばわりと一人殺陣で活躍。
この物語には終わりがない、ハーンはそこを読者に委ねていると語り手。日本を愛したハーンの微妙な心情が浮かぶ。

最後は、ハーンの死にからめて、もっとも愛したという浦島太郎に関する語りで終わっていく。現代日本人はどこかで玉手箱を空けてしまったのでは・・と問いかけて。

さて、志賀直哉篇と比較すると、作者の影が登場することにより全体の複雑性が増した反面、ややスッキリ感を欠く。最後に投げかけられた問いで、日本が玉手箱を開けたのはいつなのか?というのが、頭にひっかかってしまい、志賀直哉篇のドラマティックなラストに比べもやもや感が残ってしまった。空けてしまったことに異論はないのだが、これは難しい問題。(芝居とは関係ないか・・)志賀直哉の心の深淵が刃物のようにくっきりと描写された前作に比べ、今作では作家の思いそのものに、やや霞がかかったけだるい感じがあり、それが芝居にもある種の影を落としているかなどとも思った。
もう一点、モノドラマ由来で語り手はからまない形が原則のように思うが、ハーンとセツの心の交流が大きな伏線であるとすれば、セツがハーンに愛らしくからむ場面などあってもよかったのではと少し思った。(男性 メールにて)