レパートリーシアターVol.25
短編演劇アンソロジー 七〈近代作家シリーズ〉 芥川龍之介篇 その三
【僕たちの中の龍之介】
魔術・龍・白 より

脚本・構成・演出/原田一樹


 子供たちの活字離れが取りざたされています。
 しかし、高度に情報化された社会では、コミュニケーションが瞬時に取り入れられる視覚的なものにかたよるのも、ある意味で当たり前のことかもしれません。
 活字離れが問題なのは、映像的な情報それ自体に問題があるのではなく、活字と言うものを通して個々の読者が読み取っていた小説や物語の世界、そういうものに至る想像の力を失うことです。「人生は、一行のボードレールにも若かない」と言うのは、まさに芥川龍之介の言葉ですが、私たちが実際に生きている上で出会う局面は、本や物語で出会う人生の局面に比べれば、数も質も遠く及びません。私たちは、書かれた物を媒介にして、はるかに豊穣な人生と出会っているわけです。
 もちろんこれは近代文学に限ったことではありません、あらゆる芸術はさまざまな葛藤を経て目の前に紡ぎだされます。私たちは作品に触れることで、さまざまな人生の危機や不可能に立ち向かう人々の姿を想像力を駆使して追体験します。物語られている事柄それ自体の大きさ深さも重要ですが、それらをただの情報として整理するのではなく、自らがそこに生きていたらと言う実感を掘り起こして体験する、そのこと自体が我々の内面にとって重要であるという思いがあります。
 キンダースペースが、ここ十年ほど続けてきた近代文学アンソロジーのシリーズは、舞台での表現によって、小説の魂を体験する試みとしてスタートしました。文学作品の解説でも、ただ原作として小説世界を立体化したものでもありません。文学であること、活字によって紡がれたものである事を前提として、いわば読者が想像力によって本の世界を旅していく、その行為を演劇化したものと捕らえています。

解説ではないので、観客も舞台の中にさまざまな想像力を持つことが求められます。小説の舞台化ではないので、作り手の演出的な意図が含まれます。その上で演劇として、小説世界を生きていく俳優たちの存在もあります。
 演劇の、目の前で起きていることは今この瞬間にしか起こり得ないという一回性は、まさに小説を体験する行為になるだろうと考えています。
 又、今回は、このような体験を、子供たちと共有したいと考え、芥川龍之介自身も試みている児童文学を取り上げ、小学校の高学年から大人まで楽しめる作品をと、心がけました。


構成・脚本・演出 原田一樹


芥川龍之介の作品は、私たちを捉えて離さない物語の展開、神秘的で怪異的でありながら説得力のある
ストーリー、何よりも作品の完成度の高さで、子どもから大人までをひきつける魅力を持っています。
「魔術」には、ミスラ君という魔術を使う男が登場します。
「龍」は、生まれつき鼻が大きく赤いお坊さんが主役です。
「白」とは、尻尾まで牛乳のように白い犬の名前です。
「魔術」の欲、「龍」の嘘、「白」の後悔。
そして、再生への願い。
この三つの物語をお芝居にします。
日本という国と、そこに生きている私たち日本人というものを見つめなおし、感じとってください。
小学校低学年から大人の方まで楽しんでいただける作品です。
 


劇団キンダースペース 制作部