【チェーホフ的なるもの】



 プラトーノフに引き続き、二本目のチェーホフ作品として、彼の短い小説に題材をとったのは、この作家の創作衝動の深い所をみつめ、この作家にとって世界はどういうものとして映っていたのか、その真実の姿に迫りたかったからに他なりません。


「桜の園」や「かもめ」「三人姉妹」等、彼の代表作と呼ばれるものには喜劇という但し書きがつけられています。これを言葉どおりにとることはないにしても、わが国のこれまでのチェーホフの上演は、ともすれば登場人物たちの内面の虚無感や無力感にばかり焦点を当て、結果、日本人好みの抒情こそがチェーホフの舞台の本質であるかのような上演になりがちでした。
 チェーホフは、たしかに友人への手紙に「私たちには手近な目標も遠い目的もありません。心は空っぽです。政治もない、革命も神も。私は何も欲せず希望もなく恐怖もない。そんな人間が芸術家になれるでしょうか」と書いています。そしてこの実感は、まさにチェーホフの登場人物たちの実感と重なります。


しかし、この作家は、この喪失感、無力感に浸って、観客にその気分的な同化を求めているのでしょうか? 
その表出が、あの一人の作家が、二十年あまりの間に書いたとは到底思えない程の、おびただしい数の短編小説となって世に送り出されたのでしょうか?


チェーホフの作品群を片っ端から読んで行くと、その創作のエネルギーと、人間を捉える際の無限に広がる多面的な角度は、むしろ彼の何かを求める強さによって支えられていると考えざるを得ません。作家自身の葛藤と、人物達の葛藤、その先に浮かび上がる世界の姿こそがチェーホフの作品であり、彼が舞台上に求めたなにかなのではないでしょうか。
作家の創作衝動は、まず世界との違和によってもたらされます。チェーホフに登場する人物は、まさにこの時代と世界との違和から個別に生み出された人物です。それぞれの中で乱反射している世界こそが、我々の世界そのものの姿なのです。
私たちが、チェーホフの処女作「プラトーノフ」で試みたのは、作品を一つの完結した世界として捉え、提示するのではなく、その後のチェーホフ・チェホンテの様々な作品とコラージュする事で、全体像としてのこの作家の創作したものをあぶりだすという試みでした。今回は彼の膨大な作品群のうち、サハリン旅行の後の時代のものを中心にいくつかの作品と、チェーホフの実人生のエピソードをコラージュして作品化します。


もちろん、私たちの望むのは作者の伝記物語でも、チェーホフ演劇の解説でもありません。世界に触発された作家の衝動と、その作家の作り出した人物の衝動を二つ舞台に並べ、私たちと観客の演劇的な想像力と創造性の生まれる瞬間を演出してみようとする試みなのです。

演出 原田一樹


このような企画の元で、今回、構成と脚本を担当するのは、若手のチェーホフ研究者では随一の内田健介氏で、戯曲としては処女作となります。彼への期待は、チェーホフ研究・翻訳の第一人者、牧原純氏のチラシの文章にも現われています。

また、客演には、プラトーノフに引き続き、キンダースペースのチェーホフ上演をともに歩んできた、俳優座の加藤佳男氏、プラトーノフでは、主人公のプラトーノフを演じたスターダス・21の白州元樹氏に加え、キンダースペースでは「オレステス」「えれくとら」に続いて出演のうえだ峻氏、「新・新ハムレット」「短編演劇アンソロジー/競馬」に出演の牧口元美氏ら、ベテランの俳優人が顔をそろえてくれました。少女ミシュス役の永野有美は、シアター1010クリスマスミュージカル「幸せなモミの木」でオーディションによって主役を務め、その後劇団文化座への客演を経て今回キンダースペースに初参加します。まだ、十四歳の新人女優です。


劇団キンダースペース 制作部