■財団法人 地域創造事業 「サド侯爵夫人」劇評より
 作/三島由紀夫
 テアトロ4月号 渡辺保氏 「今月選んだベストスリー」より
 二十一世紀最初の正月のベスト・スリーは以下のとおりである。

 一、原田一樹演出の「サド侯爵夫人」

 一、川村毅演出の「弱法師」

 一、「泰山木の木の下で」の北林谷栄


 原田一樹演出の「サド侯爵夫人」は、これまでの多くの上演と違って、あくまで三島戯曲の言葉を強調し、日常的な描写を排除して、戯曲の骨格を鮮明にしたところがすぐれている。
 およそ三島戯曲には二つの側面がある。一つは観念的な骨格。もう一つは日常的な細部。三島はどちらにも得意な才能を持ってうまい。(中略)細部を描きつつ、細部を否定し、細部を超える力がなければならない。そうしなければたとえばこの芝居の最後に登場する怪物サド侯爵を写しだすことは出来ない。サド侯爵を写しだすことが可能になるのは、舞台の女六人が鏡にならなければならない。鏡になるとは、その言葉を生きることだろう。夏木マリのモントルイユ夫人以下、多少の不揃いはあるが鏡としての機能を果たしたことは事実である。なかでも久保庭尚子のサン・フォン伯爵夫人は、全身言葉の生霊となって悪徳夫人を生きたといっていい。
 この成果を支えたのは朝倉摂の装置であった。舞台上手に並ぶギリシャ風の巨大な円柱群は、時にルイ王朝風のサロンを、時に革命後の廃墟を暗示して不思議な魅力を発揮した。和紙の細かい地模様の柔らかな素材の魅力と、幾何学的な円柱の形の魅力が合致して、この戯曲の二十性を象徴して印象的であった。

■毎日新聞(1/25)夕刊 サイドウェー
 全国の七つの公共ホールが三島由紀夫の「サド侯爵夫人」を共同で製作することを、作年末の本欄で紹介した。「難しい戯曲をあえて選んだ志やよし」と結んだが、静岡芸術劇場を皮切りにスタートした舞台は、上出来なもので、「演劇製作ネットワーク事業」のこれからが楽しみになった。
 サド侯爵本人は登場せず、彼をめぐる6人の女性が、それぞれ「貞淑」「肉欲」「神」「民衆」などを象徴する人物として現れる。三島自身がこの戯曲を「日本の新劇俳優の翻訳劇の演技術を、逆用してみたい」として書いたと記してり、一筋縄でいく作品ではない。夏木マリと美加理の客演2人に、公共ホール関連の静岡県舞台芸術センターと兵庫県ピッコロ劇団からそれぞれ2人と、計6人による濃密なせりふ劇だ。発声法が異なっているのに、きっちりと劇として立ち上がったのは、原田一樹のこまやかな演出のせいであろう。特に、美加理は、所属するク・ナウカでせりふのない役が多いのに、タイトルロールのサド侯爵夫人ルネをよく演じ切った。
 上手に伽藍、下手に廃墟と象徴的な装置を組んだ朝倉摂の美術をはじめ、鈴木忠志の照明、谷原義雄の衣装、それに出演もしている高田みどりの生演奏による音楽と、スタッフに強力なベテランがそろったことも、舞台の成果につながった。
 東京中心に風穴を開ける地域発の演劇ネットワークが、今回の初年度だけでなく、次年度以降も実りあるものであってほしいと注文する。