ハムレットを、生きる!

キンダースペースの「ハムレット」

 デンマークの王子ハムレットの苦しさは、自己の存在に何らの意味も価値も見いだせないということである。
 いま、父親の死によって、母ガートルードやかつては叔父であり、現在は義理の父であるクローヂアスに代表される大人たち、存在の意味も自らの価値もやすやすと手に入れている(と、彼には思われる)大人たちの世界に参加せねばならなくなり、その世界への拒否と受容の間でさらに揺れ動いている。その彼に、友人であり、忠実な臣下でもあるホレイショーがある噂を伝えるところから、物語は動きはじめる。
 噂とは、実父は殺されたのであり、手を下したのはクローヂアスで、ハムレットの苦しさも、ここに由来するというものだ。
 自らの苦しさの理由まで他者によって与えられたハムレットは、その後も、ことの真相を確かめるための何の行動も見いだせず、ただ、人と世界に対する疎遠感を深めていく。
 この噂はむしろ、ハムレットを通じて大人たちの世界を揺るがすことになる。王の臣下、オフェーリアの父であるポローニアスはハムレットに、クローヂアスの前で王殺しの芝居を演じてみせることを提唱、結果、王との口論から刺殺される。
また、この場面を目撃した母ガートルードも自害する。噂というものの真相も、もちろん真実も何一つ明らかにされることがないままに、人々はいわば誤解と、こじれた人間関係の中で死に、それらを見つめるハムレットは永遠の疑惑を生きる決意をする。

 これが太宰の書いたハムレットであり、いわば茫然とたたずむハムレットである。
 しかし、たたずまざるをえない内面の葛藤は、太宰の小説作品にも共通する、「人は人を信じ得るか」という必死の問いである。
 それがむしろハムレットの場合は、叔父クローヂアスや、ポローニアスに体現される。これらの人物もまた、ハムレットの一人なのである。
 構成舞台の手法を用い、さまざまなコラージュにシェークスピアのハムレットや、太宰の「二十世紀旗手」「斜陽」等の会話も折り込み、太宰自身のそして、個というものを生きられない日本人の姿でもある、無数のハムレットを浮かび上がらせる。