原田一樹 2001年度 演出作品詳細
アンケート・劇評・バンフレットより

■(財)地域創造活動「サド侯爵夫人」劇評にとぶ
劇団俳優座LABO公演Vol.14「危険な曲り角」劇評にとぶ



「明日は天気」
ある海辺の旅館に休暇でやって来た夫婦。ところが連日の雨で海には出れず、二人の間の雲行きもあやしくなって…。
「可児君の面会日」
可児という珍しい名字の小説家。落ち着いて仕事をする為に月に一度一時間だけの面会日を決めた。さて、来客は…。

劇団NLTアトリエ公演No.4

「明日は天気」「可児君の面会日」


作/岸田國士
演出/原田一樹

出演/平松慎吾 山田登是 小林勇樹 藤波大 田中優輔 真堂藍 央こうじ
   倉石功 他

銀座みゆき館劇場
地下鉄丸の内線・日比谷線・銀座線銀座駅B9出口より徒歩2分
JR・地下鉄有楽町線有楽町駅より徒歩5分
03-3574-0694(公演中劇場直通電話)

12/5(水)〜13(木)

5・6・7・10日 PM7時〜
9・12・13日  PM2時〜
8・11日     PM2時〜 PM7時〜

入場料 \3,500(日時指定・自由席) 前売 \3,300

問い合わせ 劇団NLT
03-5363-6048
インターネット予約
www6.ocn.ne.jp/~nlt/

【「岸田國士」という現実】演出 原田一樹

 およそ、岸田國士という作家の作品を演出しようという演出家は、その作品の中核にある「空洞」とでも云うものと向き合い、その空洞によるとらえどころのない「浮遊感」とでも云うものと付き合わざるを得ません。「浮遊感」というのは例えば「で、けっきょく、何なの?」という疑問と、その疑問が幾度も宙に浮いたまま放り出される、といった感覚です。
 もちろんこの空洞は、作家自身のある明らかな創作意識によってもたらされたものです。
 「何か」を云うために芝居を書くのではない、芝居を書くために「何か知ら」を云うのだ(現代演劇論)。
 戯曲とは取りも直さず劇詩敵であります(舞台表現の進化)。
 「言葉の空しさ」これをはっきりと意識するところに、私の文学ははじまっている(中略)私が戯曲を書く興味は、今日まで大部分「言葉の空しさ」を捉える努力に出発しているといっていい(私の演劇論について)
 しかし、と、稽古場にいる私たちは考えます。
 私たちは、とくに演出家は、作品とうものはある「のっぴきならなさ」によって創造それるものだと考え、その引っ掛かりを足掛かりにして戯曲の立体化を試みるものです。
 従って当然、この「空洞」を核にしつらえずには作品を生み出し得なかった作家の姿を、どこか微妙な場所、舞台空間の片隅に引きずりだしたいと思うのですが、ここで又、別の空洞に出会うのです。別の「空洞」とは、そこに作家がいない、というような「空洞」です。
 つまり、この「空洞」はもう一つ別の所から立ち上がってくる、ということなのでしょう。
 そしてここまで来て、この「空洞」あるいは「浮遊感」が、何かに似ているということに気が付くのです。これは、「現代」、あるいは「現実」というものを捉えようとするときに味わう足掛かりのなさと同じです。
 明治に生まれ、武人から文人に変身を遂げ、演劇文化をフランスに学び、大正に創作をはじめ、その後、大政翼賛会文化部長にも就任した岸田國士という作家の「空洞」と、戦後、歴史や世界といったものを生きていくことを失い、文化の表層を流れ、中流を自ら意識するわれわれ日本人の「現実」。この二つがあまりに近しいことが、その作品の立体化の足掛かりを見つけられない理由だったかも知れません。
 しかし、だとすると、岸田國士が75年前に宙に描いてみせた「空洞」をこそ、21世紀の私たちは生きているということになり、それこそが、この作家が、舞台という中空に想定せざるを得なかった、そして私たち日本人が、それと知ることもなく過ごしている「のっぴきならなさ」だ、ということになるのでしょうか?      


女たちの夢と欲望を笑劇的に写し出す傑作が、
新たな空間で生まれ変わる!

財団法人静岡県舞台芸術センター「SPAC」公演

しんしゃく源氏物語


作/榊原政常
演出/原田一樹

出演/斎藤有紀子 久保庭尚子 舘野百代 松永真帆 
   竹内登志子 高野綾 大桑茜

静岡芸術劇場
JR東静岡駅南口前、グランシップ内
054-203-5730

12/22(土) 19:00
12/23(日) 14:00
12/24(月) 14:00

3000円 同伴チケット(2枚)5000円

電話予約
静岡芸術劇場チケットセンター 054-202-3399
受付時間 10:00〜18:00 土日10:00〜14:00


 荒れ果てた屋敷で、不器用な姫はひたすら源氏を待ちわびるが、姫に仕える女官たちは窮乏に耐えられず次々と屋敷を逃げ出していく…。
 榊原政常の「しんしゃく源氏物語」は、「源氏物語」の末摘花と蓬生の巻をもとにしている。
 末摘花の姫と彼女を取り巻く女たちの夢と欲望を、ユーモアと風刺をこめて描くセンティメンタルな喜劇。SPACで一昨年、姫をはじめ、すべての女たちを男優で演じることで、女たちのエネルギッシュに姿を森にかこまれた野外劇場で笑劇的に映し出し好評を博した作品を、今回はキャストを全面的に入れ替え、すべて女優で演じる新演出で上演。

方の会 創立20周年公演「秋の夜」
-お婆さんと狸の心通う物語-

演出/原田一樹
作/市川夏江
出演/市川夏江・狭間鉄・福田治
   うえだ峻・沼波輝枝・磯秀明・蓬莱照子・内田尋子
   鷹觜喜洋子・大竹竜二・樋渡広嗣・山崎七甫・鈴木雅

シアターVアカサカ
地下鉄千代田線「赤坂」5番出口より3分
03-3583-6040

2001年9月20日(木)〜24日(月)

20(木) 7時
21(金)〜23(日) 2時・7時
24(月) 2時

問い合わせ
03-3922-2589(狭間)

 チンパンジーに言葉(英語) を教えるという試みがあるという。それなりの成果を納め、世界的にも意義のある研究であると認められている。もちろんこの研究の主眼は、どうすればどれだけチンパンジーに言葉を教えられるかという教育的技術の研究ではなく、我々動物にとって、とりわけ人間にとって、言葉とはなんであるのかを見つめる研究なのだろう。でなければ、この研究の障害は目に見えている。これは私見だが、おそらくチンパンジーは言葉を覚えたい、と、さほど熱心に思っていないのではないか、ということだ。
 人は、我が身と動物を引き比べたりする。猫は幸せだ、猫になりたい。蠅じゃなくてよかった、少なくとも蠅よりは幸せだ。等など…。
これは、人が本能という絶対的な価値観を失って久しく、何のために生きているのか、何故生きているのかを見失い、相対の中でしか確かめられない、もっと言えば、その意味や瞬間瞬間の価値観すら、他人に与えられなければ生きて行くことが困難になった、ということに他ならない。
 動物に神はいない、宗教もない。先祖を祭ったり、過去にあった偉い先人の真似をしようともしない。隣人の生活を覗いて、自分の家がましだなどと思ったりしない。嫁姑の関係で悩まない、嫉妬しない、ねたまない、あるいは人間でなくて良かった、などと考えることも(おそらく)ない。
 それ故、言葉もいらなければ、より幸せである必要もないのである。
 ところで今回のものがたりは人と狸の話しである。狸の話といっても、作者がいかに動物的な人であれ、人間の書いたものに他ならない。従ってまさに人間から見た狸である。本人は(本狸は)望まぬとは言え、人に化けたりもする。つまりは、人間の話を描くために、狸に都合良く出てきてもらって、勝手な狸像を作りあげている、そういう作品である。狸学者か狸その人でなくても、文句百曼陀羅あるに違いない。しかしその狸を、人の外にいて、人を告発するものとして想定することは出来る。さらにそれをもうひとつ捻って、狸に、ひとはいいものだ、などと誉めさせることも出来る。
 この皮肉を、どれだけ受け止められるか。
 演出や作品がどれだけわめこうが、このことは人間にしかありえない行為を生業とする俳優諸氏一人一人が、人としてどう受け止めるか、きっと、その深さの分だけしか舞台には現れないと思う。

  演出 原田一樹

TOGA Summer Arts Program2001
JPAF演出家コンクール2001

◎日本の現代演劇の第一線を担う演出家、劇作家、舞台美術家、評論家等が審査
◎最優秀演出家賞には300万円
◎受賞作以外も公共ホールなどでの上演の可能性

 財団法人舞台芸術財団演劇人会議(JPAF)は、舞台芸術界の次代を担う演出家へのバックアップを目的として、今年も[利賀演出家コンクール2001]を実施します。
 昨年開催の第一回では、日本全国からの60の応募のうち、一次審査を通過した24作品が、世界の舞台芸術家から羨望の的となっている利賀村の劇場群で上演されました。
 日本各地の演出家が集まり、創造のエネルギーにあふれる夏の利賀、今年も「世界」にジャンプする踏み切り台がここにあります。

審査員
森秀男  菅孝行 越光照文 宮城聰 鈴木忠志
<国内戯曲部門のみ>
石澤秀二 衛紀生 山村武善 安田雅弘
<海外戯曲部門>
高田一郎 戸村孝子 平田オリザ 原田一樹
 
応募資格
舞台演出家および舞台演出家を目指す方(プロ・アマ・学生を問いません)

審査方法
一次審査 書類選考
二次審査 作品上演(2001年8月 富山県利賀芸術公園)
最終審査 作品上演(2001年9月 富山県利賀芸術公園)

二次・最終審査内容
課題戯曲の中から1作を選んで、演出家が自ら組織するグループ(俳優、スタッフ等)によって上演します。課題戯曲は、国内戯曲部門と海外戯曲部門があります。詳細は、下記までお問い合わせください。

※ 二次審査では宿泊・食事が支給されます。
※ 最終審査では交通費・宿泊・食事が支給されるほか、賞金、賞品が贈呈されまん。

応募方法
募集要項を御参照の上、所定の申し込み用紙に必要事項を記入して郵送にて御応募ください。

募集要項の請求
氏名・住所・電話番号を明記して、160円切手を同封の上、下記まで御請求ください。

応募締めきり
2001年5月15日火曜日 当日消印有効

募集要項の請求・問い合わせ
(財)舞台芸術財団演劇人会議 利賀演出家コンクール係
 
TEL:03-3951-5706
ウ161-0033 新宿区下落合2-14-19-302

http://www.jpaf.or.jp

結果報告後日

劇団俳優座LABO公演Vol.14

「危険な曲り角」

舞台は裕福なロバート家のリビング。
ロバートの弟・マルチンの自殺をめぐって、過去と現在の時の交錯の中から浮かび上がる赤裸々な人間関係。
そして思いがけない真相が…。
プリイストリイが巧みな作劇術で描く、推理サスペンス劇。
原田一樹LABO演出第二弾!

演出/原田一樹
作/John Boynton Priesley
出演/矢野和朗 斎藤深雪 阿部百合子 塩山誠司 安藤みどり
大河原裕子 星野元信

劇団俳優座劇場5F稽古場
(地下鉄日比谷線・大江戸線・六本木駅6番出口前)
03-3405-4743

2001年8月5日(日)〜12(日)

6(月)・7(火)・10(金)     19:00 開演
5(日)・8(水)・9(木)・12(日)  14:00 開演
11(土)            14:00 19:00開演
俳優座公式ページ

テアトロ10月号 渡辺保氏 「今月選んだベストスリー」より

8月に越境すると俄然ベスト・スリーが出てくる。

一、ミュージカル「フォッシー」
一、長谷川孝治の「香水」
一、原田一樹演出の「危険な曲り角」
「危険な曲り角」はプリイストリイの旧作を原田一樹がテキスト・レジをして演出。去年のモームの「アーズリー家の三姉妹」に次ぐ作品。プリイストリイお得意の家庭劇であって、出版社ホワイトハウスの社長一家の悲劇。故ホワイトハウスの女婿キャプラン、妻フレダ、その弟のゴルドン夫妻、出版者の前秘書のオルウェン、重役スタントン、作家モック・リッジの七人だけで一杯道具。休憩なしで二時間あまり。最後には意外な事実が明るみに出て、モック・リッジ以外の全員の正体が明らかになる。一九三二年の作品だから、現代から見れば「だからなんなんだ」という疑問は残るが、芝居のおもしろさは十分持って、古臭くはない。ウエルメイドの典型である。去年に続いて阿部百合子が好演。ただし他の役者の演技力がいささか弱い。それでも二時間あまりを見せるのは、戯曲がしっかりしているからである。

The 30's第5回公演「Something Four」

「女性なら誰でも一度はウェディングドレスを着てみたい」
…なんてどこで創られた神話なのでしょう?

今回のThe 30'sはブライダルサロンのスタッフの目を通して描きました。

Something Four…
ヨーロッパに古くから伝わる言伝え
花嫁がこの4つにまつわるものを身につけると幸せになれるという
「青いもの、新しいもの、古いもの、借りたもの」

演出/原田一樹
作/春日亀千尋・松永麻里・深水みゆき・越智絵理花
出演/春日亀千尋・松永麻里・深水みゆき・越智絵理花
   /(キンダースペース新人)橋本亜由子
『劇』小劇場
[小田急線・京王井の頭線「下北沢」徒歩3分]
03-3466-0020
2001年5月23日(水)〜27(日)

23(水)・24(木)19:00〜
25(金)・26(土)14:00〜・19:00〜
27(日)14:00〜

サーティーズ 0424-80-8113
サーティーズ公式ホームページ

 “30’s”賛江 〜その二〜 パンフレットより

 「今の世の中は、30代の女性にとってどういうものであるのか」
 「30代の女性は、今の世の中にとってどういうものであるのか」
 これを描くことが“30's”の創作活動であり、そのようなテーマの特定にこそ“30's”
にとっての普遍的なテーマがあるのです、……と、確かそんなエールを送ったのが“Smokey chat”の演出として“30's”に関わった始まりでした。
 始まり、にはそれなりの刺激も伴い、いわば行け行けどんどんで盛り上がるものですが、二回目となるとそうも行きません。観客の評価も厳しくなります。なにより同じ物を目指していては、芸術の創造に完璧がない以上、前回のレベルダウンとなることは必至であるからです。

 さて今回、あなたたちによって絞り込まれたテーマは結婚ということでした。
 前回にならっていえば、今度のエールは、
 「結婚とは、30代の女性にとってどういうものであるのか」
 「30代の女性は、結婚をどうしたいのか」がテーマ、ということになるのでしょう。「どうしたいのか」とは、どういう結婚をしたいのか、という意味ばかりではなく、結婚という時間をどのように実行したらいいのか、結婚をどう自分にとって価値あるものに出来るのか、という意味も含まれて来ます。
 いずれにせよ30代の女性という人間を描くのですから、企画も台本も演技も含め、その全てをより深く、より真摯に追い詰めること以外に次の目標がないのは確かです。

 今回のタイトルとなった“Something four”というのは、結婚に関する言い伝え、とあなたたちに教わりました。
 しかし私には、この“四つのなにか”というのは、それを聞いた当初から、あなたたち四人の出演者、そして四人が演じる四つの人物像のことに思えていました。
(“30's”が五人になっていることは、もちろん知っていましたが……)

 “四つのなにか”は、それぞれ意味も存在も違うなにかであります。
 新しいなにか、つまり新人は、このサロンでなにかを得、
 先達より受け継いだ物を持つ古いなにか、は失い、
 純潔ななにかは、求めすぎて上手く行かず、
 隣人を求めるなにか、は隣人を失い、去っていかざるをえなくなります。
 つまりこれが、今回の物語の人物像だと考えているのですが、四人の意志の一致はブライダルサロンをやっていくという点だけであり、それ以外は考え方も生き方もまるで異なります。
 この異なりをどう際立たせるか、が今回の“Something four”の演出の肝です。
 そして、おそらくこれは、“30's”の未来にとっても肝でしょう。

 しかし一方、あなたたちのようにはっきりした視点とコンセプトを定め、そのことで一致し、一年の時間をかけてありとあらゆる思考と労力と資本を注ぎ込み、一つの作品にして見せるという創作活動を続けている集団は、演劇界以外にはありませんし、演劇界にもあまり見当りません。これは自信を持っていいことであるし、世間ももう少し評価すべきでありますし、必ず評価される日もやって来ます。
 おそらく今回、劇小劇場の狭い空間に肩寄せ合って詰め掛け、あなたたちの演劇の時間につきあってくださるお客様が、その先駆者に違いないのでしょう。
 彼らを大切に、そしていつの日か、“30's”が“40's”となり、“50's”となる日が来ても、
その自負を失わずにいて下さい。
 あなたたちはすでに、演劇界にとって、一つの価値であるのですから。

                                
                                        原田一樹


2001年1月12日E〜21日@
静岡芸術劇場
1月28日@
つくばカピオホール
2月2日E〜4日@
兵庫ピッコロシアター大ホール
2月10日F〜12日A
富山県利賀芸術公園 新利賀山房
2月16日E
熊本県立劇場 演劇ホール
2月20日B
中町文化会館ベルディーホール
2月25日@
栗東芸術文化会館さきら 中ホール

財団法人地域創造では、地域における創造的で文化的な芸術活動のための環境づくりを目的として、地方公共団体などとの緊密な連携の下に、財政的な支援をはじめ、研修交流、アーティストの派遣や質の高い公演の提供、情報誌、雑誌、ホームページによる情報提供、調査研究などの事業を実施し、公立文化施設の活性化を支援しております。
 これらの事業の一環として、地域創造ではH11年度から「公共ホール演劇製作ネットワーク事業」を開始しました。
 公共ホール演劇製作ネットワーク事業とは
 財団法人地域創造と全国の公共ホールが、共同で質の高い演劇作品を製作し、その作品を共同製作に参加する各ホールで連続上演する企画です。
 公共ホールの役割とその可能性については近年活発に議論され、全国各地のホールが様々な取り組みを行ってきています。しかし、演劇については、既成の作品を招聘し上演することはできても、予算やスタッフが限られている中で、ホールがオリジナル作品を企画、製作することはむずかしい状況です。そこで、今回は、演劇製作に参加するホールを全国から募集し、作品の選定、キャスト・スタッフの決定、予算の組み方、広報プラン等、演劇製作に関わるあらゆる面について、参加ホールのスタッフが議論を重ね、共同作業により舞台を創造し、上演するという初めての試みが行われています。
 本格的な実施の第1回となる今年は、全国から7つのホールが参加し、「サド公爵夫人」の製作に取り組んでおります。参加する各ホールは、規模も運営形態も異なりますが、共同作業の過程をとおして、様々な経験を共有し、試行錯誤を繰り返しながら、新しい演劇の創造に向けて、一歩一歩進んでいるところです。また、この事業では、作品の上演だけではなく、関連企画としてワークショップ、シンポジウムなども開催し、地域の人材育成や新しい観客を創り出すこともその目標としています。
 劇場は出会いの「場」です。そこでは様々な人と人が直接出会い、舞台を介して同じ時間と場所を共有します。新しい世紀の入り口にたっている私たちにとって、そのような出会いの「場」はますます限定されつつあります。公共ホールが魅力的な「場」となり、地域の人たちの、そして地域を越えた人たちとの出会いを創りだすこと、そしてそうしたホールが連携してさらに新しい「場」を生み出すこと…この事業がその歩みを押し進める契機になることを目指し、いま7つのホールは船出しました。
作/三島由紀夫

出演
夏木マリ 美加理 久保庭尚子 木全晶子 平井久美子 高田みどり
総合プロデューサー・照明/鈴木忠志
装置/朝倉摂
音楽/高田みどり
衣裳/谷原義雄

■財団法人 地域創造事業 「サド侯爵夫人」劇評より

 作/三島由紀夫

 テアトロ4月号 渡辺保氏 「今月選んだベストスリー」より

 二十一世紀最初の正月のベスト・スリーは以下のとおりである。
 一、原田一樹演出の「サド侯爵夫人」
 一、川村毅演出の「弱法師」
 一、「泰山木の木の下で」の北林谷栄

 原田一樹演出の「サド侯爵夫人」は、これまでの多くの上演と違って、あくまで三島戯曲の言葉を強調し、日常的な描写を排除して、戯曲の骨格を鮮明にしたところがすぐれている。
 およそ三島戯曲には二つの側面がある。一つは観念的な骨格。もう一つは日常的な細部。
三島はどちらにも得意な才能を持ってうまい。(中略)細部を描きつつ、細部を否定し、
細部を超える力がなければならない。そうしなければたとえばこの芝居の最後に登場する
怪物サド侯爵を写しだすことは出来ない。サド侯爵を写しだすことが可能になるのは、舞台の女六人が鏡にならなければならない。鏡になるとは、その言葉を生きることだろう。
夏木マリのモントルイユ夫人以下、多少の不揃いはあるが鏡としての機能を果たしたことは事実である。なかでも久保庭尚子のサン・フォン伯爵夫人は、全身言葉の生霊となって
悪徳夫人を生きたといっていい。
 この成果を支えたのは朝倉摂の装置であった。舞台上手に並ぶギリシャ風の巨大な円柱
群は、時にルイ王朝風のサロンを、時に革命後の廃墟を暗示して不思議な魅力を発揮した。
和紙の細かい地模様の柔らかな素材の魅力と、幾何学的な円柱の形の魅力が合致して、この戯曲の二十性を象徴して印象的であった。

 毎日新聞(1/25)夕刊 サイドウェー

 全国の七つの公共ホールが三島由紀夫の「サド侯爵夫人」を共同で製作することを、作年末の本欄で紹介した。「難しい戯曲をあえて選んだ志やよし」と結んだが、静岡芸術劇場を皮切りにスタートした舞台は、上出来なもので、「演劇製作ネットワーク事業」のこれからが楽しみになった。
 サド侯爵本人は登場せず、彼をめぐる6人の女性が、それぞれ「貞淑」「肉欲」「神」
「民衆」などを象徴する人物として現れる。三島自身がこの戯曲を「日本の新劇俳優の翻訳劇の演技術を、逆用してみたい」として書いたと記してり、一筋縄でいく作品ではない。
夏木マリと美加理の客演2人に、公共ホール関連の静岡県舞台芸術センターと兵庫県ピッコロ劇団からそれぞれ2人と、計6人による濃密なせりふ劇だ。発声法が異なっているのに、きっちりと劇として立ち上がったのは、原田一樹のこまやかな演出のせいであろう。特に、美加理は、所属するク・ナウカでせりふのない役が多いのに、タイトルロールのサド侯爵夫人ルネをよく演じ切った。
 上手に伽藍、下手に廃墟と象徴的な装置を組んだ朝倉摂の美術をはじめ、鈴木忠志の照明、谷原義雄の衣装、それに出演もしている高田みどりの生演奏による音楽と、スタッフ
に強力なベテランがそろったことも、舞台の成果につながった。
 東京中心に風穴を開ける地域発の演劇ネットワークが、今回の初年度だけでなく、次年度以降も実りあるものであってほしいと注文する。