友が皆……1

 ブログの方に、高校の同級生が書込みをしてくれました。半年くらい放っておいたブログだったので、10月の書込みを先週読みました。
 黒髪薫(クロカミカオル)君という同級生からでした。
 黒髪君のその特徴ある名前はとても良く覚えていました。顔は思い出さなかったけれど、その強烈なインパクトのある名前は、同級生達はきっと一生忘れないだろうと思います。
 その黒髪君が、なんと卒業後高野山大学に入り、現在は愛知県田原市の長仙寺という眞言宗の寺の副住職さんになっていらっしゃいました。(いきなり敬語)
 現在のお名前は渡邉真教さんだそうです。御本人は「珍しくも何ともないつまらない名前になってしまった」とおっしゃいますが、そりゃ黒髪薫に比べればそうでしょうけど、現在のお名前も充分有難い感じです。

 さて、そのお寺で黒髪君(あえてそう呼ばせていただきましょう)は、僧侶としてご祈祷や年忌法事を行なう一方で、末期癌の患者さんのところに行って、話し相手をしていらっしゃるそうです。
「現代の僧侶は、人が死んでから関わることが多いのです。しかし、宗教のあるべき姿を考えると、これから死に逝く人にこそ宗教は必要ですし、また死に逝く人からしか学べないこともあり、週に一度は病院通いしています。」
 私はこのメールを読んで、死ぬほど感激しました。昨夜の酒場ではこの話を興奮状態でしゃべくりました。
 日本のお坊さんはどうしても、御葬式やそのあとの御供養の方の為にいらっしゃる感じが多いし、私達もそういうものだと思いがちですが、本来、このような活動こそが、彼らがするべき、また彼らにしか出来ないことだと、以前から原田と話したり、PLの先生からそのようなお話を聞いたこともありました。
 黒髪君の「死に逝く人からしか学べないこともある」という言葉が心に染みます。
 「友が皆我より偉く見ゆる日よ……」という句がありますが、こういう立派な同級生がいるということが、私の自慢で、自信になります。

友が皆……2

 黒髪君のことを高校の演劇部の顧問の洋三先生に伺ったところ、「色白で、やせ形、すっきりとした顔立ちの美青年という感じ」という答えが返ってきました。先生もとても印象に残った生徒らしく、御自分のエッセイにも黒髪君のことを書いていらっしゃいます。
 黒髪君と私は同じクラスだったそうです。黒髪君は私が演劇部に入っていたことや、クラスの有志で文化祭に演劇をやったことや、いつも一緒にいた仲間のことも覚えてらっしゃいました。
 では、何故私はそんな紅顔の美少年黒髪君のことをよく覚えていなかったのか?
 実は私は、高校時代のクラスのことを全くと言ってよいほど忘れています。もともと記憶力も無いのですが、敢えて記憶から消そうとしているかのようです。高校へは「演劇部」をやりに行っていました。クラスにはまるで馴染まず友達も居なかった。成績も悪く、かといって勉強もしなかった。消極的で存在を殺そうと心掛けていたし、別に虐められてもいないけど、居たか居ないかわからないような存在だったと思う。
 私が曲がりなりにも高校に通っていたのは少なからず演劇部のお陰です。けれど、その演劇部ですら自分から積極的に関わったことは少なかった。演劇部の友達はみんな色んな企画を持ち寄って積極的に関わっていたけど、私は「あわよくば…、何かやることあれば…」という感じで、ハスに構えて関わっていた記憶が有ります。お膳立てを待ち望むタイプです。今思うと、殴ってやりたいようなヤツです。
 同級生に、黒髪君のような立派な考えを持つ人が一杯いたはずなのに、その時そこに何も認めなかった自分が今さらながら情けなく恥ずかしく、逆に黒髪君や他の仲間たちがそんな私のことを覚えていてくれて、今この時に声をかけてくれたりすることがとても嬉しかった。
 「友が皆我より偉く見えゆる日よ……」
 ………自分は自分一人で生きてきたわけじゃない。
 立派になっていく同級生と共に少しでも成長したい…と考えました。