「すみれのこと」

このコーナーにはネコのことを書こうと思って3年前に始めて、その間、全く「すみれ」のことを書いていない。
「すみれ」はうちの「けさく」とほとんど同じ時期にうちにやってきたノラネコである。

このコーナーのタイトルが「けさく」、わたしのハンドルネーム(っていうの?)が「けさく」、なにかと言えば
「けさく、けさく」と騒いでいるのに、「すみれ」の名前が出ないのは、別に可愛がっていないからではない。
ただ「すみれ」は「けさく」に比べて、非常に「ネコ」らしい「ネコ」なので、愛想が無い。
普通の「ねこ」のように機敏で、無愛想で、移り気で、あまりかまわれたくないメスネコなので、こちらもほど
ほどに距離をおいて付き合っていて、いわゆる正常な「人間とネコ」の付き合い方をしていた。

誕生日には「すずめ」を、母の日には「ねずみ」をきちんとプレゼントしてくれる。
可哀想な迷子の「こうもりの子供」や、夏の日を惜しむ「余生いくばくもないセミ」などは大好物である。
だが悲しいかな、マンションネコなので、いたぶりながら、遊び、放してやる…といった余裕はない。
口にした時にはもうすでに「すずめ」はぐったりし、「ねずみ」は血だらけで、「こうもり」は羽がもげ、
「セミ」に至っては形になっていない。残酷極まりないことになっている。(…らしい…、私はあまり見ない
ようにしている)
うちの近所も御多分にもれず「カラス」のたまり場になっているのだが、先日続け様に「すずめ」と「セミ」
を捕獲してからは、「カラス」も寄ってこなくなってしまった。もしかしたら警戒されているのかもしれない。

「けさく」は世田ヶ谷の動物病院に保護されていた捨てネコで、きちんと(?)お見合い写真をもらい、わざわざ
受け取りに車で世田ヶ谷まで行って缶詰め付きでいただいてきた有り難いおぼっちゃまネコであるが、
「すみれ」は、近所の青木公園に散歩に行った時に「けさく」が見つけたノラネコである。ベンチの下にうず
くまっていたところを、散歩に来たくせに地面に腹をこすりつけて「ほふくぜんしん」しかしていなかった
「けさく」が発見したのだ。
それまでなら、別にノラネコを見てもそんなこと考えもしなかったかもしれないのだが、その時は「けさく」を
もらったばかりで、無意識に「相棒を…」という考えがあったのかもしれない。気がついた時にはジャケットの
中に入れて家に向かっていた。

女の子なので、キンダースペースの代表作「若きウェルテルの悩み」から、自分の役名である「すみれ」を命名
した。しかし…この「すみれちゃん」およそ「すみれ」という名に似つかわしくない、上記のようなネコなので
ある。時々、外に出てチョウチョを追っかけている姿が愛らしく「わっ、すみれちゃん、可愛い!!」と思うが、そのチョウチョもいずれ哀れな姿になるのである。

機敏なくせに足音が大きく、体重は3キロちょっとしかないのにマンションの廊下を「タン、タン、タン」と足音を響かせて歩く。なのに獲物はちょい! なのである。たいしたものだ。

「すみれ」は臭いものが好きだ。
例をあげると、脱いだばかりの靴、脱いだばかりの靴下、脱いだばかりの下着、脱いだばかりのズボン…、比較的臭いのきつい部分のものが大好物である。
脱ぐととんでいって前足で小さく交互に引っ掻き、顔をうずめて恍惚としている。
その最中に「すみれちゃん」と呼ぶと、目をトロンとさせ、鼻の穴を開き、口を半開きにした状態でこちらを見る。
いわゆる「フレーメン現象」といわれるものだが、非常にブキミな顔である。

「すみれ」はこう言っちゃなんだが、あまり器量よしではない。三白眼で頬がこけていて、「けさく」とくらべるとフォトジェニックではない。だからそのフレーメンの顔といったら、あまりの可愛くなさにびっくりする位だ。
でも本人が元来「かっわいいでちゅね〜〜〜」とか猫なで声をあげられることを非常に嫌うタイプなので、そういう気を使わないでいられるクールな奴で良かったと思って暮らしてきた。

ところが、「すみれ」も「よるとしなみ」というのだろうか…最近やけに気が弱く、私にベッタリまとわりついてくる。
前は撫でさせてもくれなかった身体を、これでもかと押し付けて甘えてくる。当初はそうされるとこちらの方が緊張して、寝返りも打てなかったりしたのだが、最近ではヘッチャラヘーである。バンテリンをしこたま肩に塗ってても知らん顔でくっついている。
少し鼻も弱くなっているのかもしれない。

「けさく」が昭和の最後、「すみれ」が平成元年にやってきたから、そろそろ12年。
いい年なんだよね。
人間年令にしたら、とうに越されてしまった。
孝行しなければいけないのかもしれない。