レパートリーシアターVol.23
新モノドラマ
【オダサク×ダザイ】
モノドラマの新しい試み

原作/織田作之助・太宰治
構成・演出/原田一樹


 

 十年近く前に、新々ハムレットというタイトルで、太宰治の新ハムレットと、シェークスピアのハムレットを組み合わせ、いわば湾岸戦争後の、現代ハムレットの上演を試みてから、いつか太宰と取り組んでみたいと思っていました。

 

 キンダースペースではこれも十年近く前より、モノドラマというスタイルで近代文学と演技の融合の試みも行ってまいりました。俳優が一人、裸舞台に使い空間で、近代文学を演劇として立ち上げるというもので、これまでにのべ六十本、四十演目近い短編を舞台化してきました。と言っても、近年は劇団としての公演

は地方が多く、アトリエでのモノドラマドラ上演はありませんでした。

 太宰への本格的な取り組みはまだ先です。が、とりあえずこの二つの思惑が絡まって今回の新モノドラマの企画になりました。いわば、太宰への一つのステップです。

 今回は、この時代の無頼派と呼ばれた作家のうち、三十九歳で入水心中した太宰よりも若く生まれ、そして先に死んでいった唯一の作家、織田作之助を組み合わせ、戦前から戦争直後にかけてのいわゆる「世相」も浮かび上がらせることができれば、と考えました。

 モノドラマ、とはいっても、今回はそのモノドラマ自体も解体し、様々な実験を試みています。

 取り上げた作品は、太宰が自らの二回目の心中未遂を書いた「姥捨」(狂言だという見方が定説です)。敗戦をむかえたその瞬間を物語の発端とした「トカトントン」。遺作のグッド・バイにもつながる文体で終戦後の風景を捉えた「メリイクリスマス」。そして、これは遡るのですが、太宰版のゴドー待ちとも言える「待つ」。

 織田作之助は。その、独特の人生の切り取り方で、実直を絵に描いたような風呂屋の釜焚きが、一度だけ過ちを犯そうとする様を描いた「人情話」。同じように、主人どうしに決められた結婚を、奉公する女の側から描いた「許嫁」。なくなった妻の一代という名の、一番の馬券を買い続ける男の「競馬」。織田作には珍しい、かけなくなった自己を見つめた「郷愁」。いずれも織田作の距離で人生を、人間を切り取ったものです。

 
 アトリエ公演ではありますが、八本とも、これまでにない新しい構成と、演出を試みています。

 お忙しいとは思いますが、是非小さなアトリエに足をお運びください。


原田一樹