プラトーノフ 終わりと始まりを観劇して

内田健介(ロシア文学・演劇研究)

 まず開幕前に配られたパンフレットから期待させられる舞台であった。演出家の原田さんはパンフレットの中において、「我々をかきたてるもの」という言葉を用いて書き始められていたのだが、そこにはチェーホフを専門に研究している私を十分にかきたててくれる言葉が並べられていたからだ。
 特にその中で目を惹かれたのが、「先行する作家たちの影響を無視してチェーホフの中だけで世界を描いて事足りると考えるのはこの国の演劇人の怠惰ではないのか」という言葉だった。これはすなわち、演劇人だけでなくチェーホフ研究者にとっての怠惰でもあるだろう。
 チェーホフ研究者から見れば、この『プラトーノフ』を演じるということが、必ず演出家や劇団の解釈が行われるということと同義であることを理解している。それは、この戯曲の台本の複雑さ、そして8時間を越える上演時間の長さが、台本をそのまま舞台にのせることを拒否するためだ。それを踏まえてチェーホフ研究をさかのぼった場合、『プラトーノフ』の解釈は進んでいないように思われる。
 そうした困難な戯曲をどのように料理するのか、期待と不安の入り混じった開幕前だった。
 しかし、演技が始まったとき、私の不安は単なる取り越し苦労であり、ほぼ無駄のないと言ってもいい2時間半の舞台が過ぎ去っていた。舞台が終わったあと、瀬田さんのおかげで、わずかばかりだけ原田さんとお話することができた。そのときの「成立させなきゃいけないから」という原田さんの一言が耳に残っている。
 まさに、1つの舞台として成立していた舞台だった。
 こういうのも、『プラトーノフ』の台本にはバラバラのストーリーが多く、一貫性のないものも多く含まれているためである。私は率直に「本当によく読みこまれたのだと思います」などと偉そうなことを言ってしまったが、私自身も幾度もこの台本を読み、論文を書いている。それゆえ、解釈するだけで100回以上読まなければならない苦労を知り、それを舞台にかけるとなるとさらなる困難と、こだわりがなければ出来ない作業だと多少なりとも分かっていたためだ。まさに妥協のない演出だったと思う。
 まず第1幕、開幕から登場人物のほとんどが舞台上に登場し、華やかな空間を作り出す。そして、そこに現れるプラトーノフ。読んでいるだけでは気が付かなかったが、舞台を見て初めてこの場面はプーシキンの影響が大きいと気が付いた。まさに、言葉どおりチェーホフだけで事足りていない舞台であった。登場人物の多さと人間関係の複雑さから、第1幕の間にどれだけ人間関係を観客たちに伝えられるか、という点に重点が置かれていたように感じた。
 しかし、第2幕に入るとそれぞれの人物が動き始め、そして喜劇的な場面が増え始める。そして、もっとも演出家の力を感じたのが第3幕だった。ここでは時間が複層的に表現されており、バラバラのエピソードをプラトーノフを中心に一気に表現するという手法をとっていた。この部分で描かれたテンポは、結末である第4幕の騒々しさに繋がっていくという点においても秀逸だった。
 そして、所々に散りばめられた『三人姉妹』の台詞など、終わってみれば紛れもないチェーホフ劇であった点も見逃せない。特に男性の滑稽さの描かれ方はまさにチェーホフ喜劇の核であったと思う。チェーホフ作品で事足りることなく、そしてチェーホフ劇であり続けていた。
 どうしても、チェーホフを研究しているという立場のため、感想が演出よりになってしまったが、役者たちの演技も演出に引けを取らないほど質の高いものであった。劇団としてのまとまりと、しっかりとした稽古を積まれたことがひしひしと伝わってくる舞台であった。特に、一人一人の時間の使い方、言いかえれば舞台上での台詞と台詞の間のリズムが素晴らしかった。
 演者の中で一番光っていたのは、やはりプラトーノフを演じきった白州本樹さんであったと思う。白州さんが私のイメージしていたプラトーノフ像に近かったということもあるが、この劇はプラトーノフが中心であり、彼の性格によって登場人物たちが左右されていくため、結末までの間、彼がそうした状況を作り出す元凶にならなければならない。そう考えたとき、彼にかかったウェイトは計り知れない。そのプラトーノフを演じきり、さらにその枠だけに収まらず白州さんの演技の味も感じさせてくれたことには脱帽せざるをえない。
 そして、落ち着いた演技の中に熱を感じさせてくれたアンナ役の瀬田さん。舞台上で唯一の母であるサーシャの優しさを演じられた小林さん。終幕の銃を撃つときの鬼気迫る演技を見せてくれた古木さん。グレコワの気難しさと人恋しさを表現されていた加藤さん。プラトーノフと関わる4人の女性たちの演技も素晴らしいものでした。そして、「小さな役などありはしない、小さな役者がいるだけ」という言葉が示すとおり、全ての役者が見せ場を持ち、発揮されていたと思う。役者と研究者と歩む道は違えど、演劇に関係する者として自分との差を痛切に感じざるを得ない舞台であった。
 1つだけ素人ながら気になった点があるとすれば、台詞の中での溜めがあれば良かったかもしれないと感じたくらいでしょうか。畳み掛ける台詞や、一言で感情を表す台詞において、台詞の中での余裕というか、伸ばしがあればと言えばよいのだろうか。しかしながら、あまり誉め倒してもと思い、わざわざ探して何かの足しになればと思い書かせていただいたので、逆を言えば、本当に突っ込みどころを探す方が苦労した。
 このような素晴らしい時間を提供してくれた劇団キンダースペース並びに、客演、STAFFの方々に感謝したい。