「紙屋悦子の青春」 感想 インターネットより

●1時間40分があっという間に過ぎた。面白かった。おおいに笑った。そして、最後は、胸にずしりと重い何かが残った。 役者も、ベテランからまだ入団したての若手までが、バランスよく配され、それぞれが持ち味を存分に発揮していたのが、今後のキンダーの発展を確信させた。それが何よりも嬉しかった。 男優が足りないのが悩みだったキンダーだったが、林修司、新人の関戸滉生が、予想を上回る好演。これに今やキンダーをしょって立つ森下高志がからんで、お見合いの場面では、上質のコントを見るような楽しさ。終わったあと、後ろの席から「いやあ、おもしろかったなあ!」との声が聞こえたのも納得である。 新人の山田都和子が、むずかしい悦子役を全力で好演。やや緊張気味だったが、そここにキラリと光る演技が印象的で、その複雑に揺れ動く表情に引き込まれた。悦子はダブルキャストで、今回は山田だったが、坂本奈都実も見てみたかった。(事情が許さず残念) ますます演技に磨きがかかってきた榊原奈緒子は、深刻なドラマに日常を軽やかさを吹き込んだ。それだけに、その口から出る戦争批判の一言は、鋭く観客の心を突き刺す。 瀬田ひろ美と小林幸雄の老夫婦は、まるで小津の「東京物語」に出てくる夫婦のような円熟の味わいがあり、ラストの夕焼け(だと思う)に照らされるシーンは、ただただ美しかった。 終演後の飲み会で、美術家の方が、今回の舞台は、客席も近く、しかも三方を取り囲んでいるせいもあって、小津映画のアップのシーンを見ているような気がしたとおっしゃっていたが、それにも深く共感した。 戦争の問題、日本人の問題など、この芝居に描かれた内容は深く、感想も一言では言い尽くせない。また時を改めて書きたいと思う。
(山本洋三様)

●悦子の人生深い… 悲しみも深い… そこらへんの悲しみじゃなくて… だから幸せも深い… ちゃんと生きなきゃって思う。 別に死にたいとか思ってる訳じゃなくて… そうじゃなくて。 人としてちゃんと足踏みしめて生きなきゃって思った。
(松元田鶴子様)

●劇団キンダースペース、紙屋悦子の青春。Aプロ。まあ見れば見る程細やかな、役者にはやり甲斐のある芝居。若手も含めて取り組んだ成果もあり、しかしてアフター飲み会のベテラン俳優さん達からは厳しめのご指摘もあり。それだけ失い難い深いものだなと、また感慨も加わる西川口の夜は更け行く。
(真田真様)

●一晩明けても余韻が沁みてくるいい芝居。流石の原田一樹演出で、劇団ならではの気配が伝わってくる。 若い役者達の根っこを捕まえた戦中の芝居に、心の中で唸りながら観ていた。
(紺野相龍様)

●あっと言う間の1時間半で、改めて今の平和な日本に住む有り難さと、少し前の悲惨さを痛感させられる内容であった。 戦争という歴史的な変遷の中で、青春期を自分の気持ちを押さえながら過ごす悦子であるが、果たして彼女の青春とはなんだったのだろうか…。 日本人ならではの配慮し過ぎる愛情と、全てを耐え忍ぶ強さ、家族役割と命令系統尊守、厳しい日々の中での労り愛と明るさ…。 今の時代では考えられない暮らしが確かに其所にあったのである。お若い方々にも是非見て欲しい作品でもある。 クライマックスには、散る桜、残る桜も…なんて句を思い出した。(B組)のも観たかった…。 若手俳優陣が初々しくて、さらなる飛躍が期待できるので、次回作も楽しみである。 いやあ、西川口にあるキンダースペースは、質が高い歴史ある劇団なので、もっと広まって欲しいと節に願う1ファンの山名なのである。
(山名敏子様)

劇団アトリエの狭い舞台を、3方向から観えるように席を配置し、それぞれの方向に顔を向ける演出が素敵でした。 芝居は第二次世界大戦末期敗戦が濃厚ななか、思いを寄せる女性に自らの同僚を引き合わせたのち、鹿屋から沖縄へ飛び立つ特攻兵を描いている。 戦争という日常から解き放れた、現代の情景と重ね合わせ静かに見つめる夕景ー 国政を私物化し嘘をつき重ねる戦争犯罪人の孫は、守らなければいけない平和憲法を破壊し、アメリカの引き起こす戦争の「代理兵」の役割を果たそうと画策しています。 この舞台を観て改めて二度と戦争をするな、特攻という「天皇の命令を受けた軍隊による強制殺人」を繰り返すなの、思いを強くしました。 汗まみれで熱演された役者の、確かな演技力を頼もしく拝見しました。
(日高のぼる

●ステージを囲むように客席があり、まるで戦時中にトリップしてしまったような感覚。目の前で会話している中にまるで自分も入っているよう。明日、特攻隊として出撃する若者、悦子の気持ちとか切ないくらいに伝わってきます。キンダースペースの役者さんが素晴らしいです!西川口でこれを観れるのが幸せ!!
(Miho Matsui様)

●「青春」というタイトルが付いているが、いわゆるキラキラした青春が描かれているわけではない。むしろその逆だ。それが昭和20年の青春なのか。 悦子は戦禍で両親を失い、想いを寄せる飛行機乗りとの恋は叶わず、その彼から紹介された同僚と見合いし結婚する。悦子のすべてを受け入れる姿に潔さを感じた。 キンダーの若手の活躍が頼もしいステージでした。
(栗田かおり様)

●悦子役のみ交替のBプロ。たかが数日でも芝居は進化する。終局戦時下の九州。夫婦のあり様から人間の素の感情や感覚を垣間見る。可笑しさ可愛らしさ哀しさ。日常の中で忘れがちな様々。戦時は深々と痛みを残す。染みるべき思い、為政者にも民にも。
(真田真様)

●通し稽古だけ拝見していたので しかも別チームだし、 どんな変化や違いがあるのか楽しみに待っていた本番?? とっても良かった。 じんわりと余韻の残る、いいお芝居でした。 生活をまるごと支配している 大きな時代背景があって その中で主人公の悦子を襲う大きな悲しみは 予感があり、 予告され、 覚悟とともにその日を迎える。 理不尽すぎる現実を受け入れる事しか出来ない。 きっと当時たくさんの人たちが味わった感情。 今年から入団された 坂本さんと関戸くんのお2人の 瑞々しいお芝居が素敵でした。 またベテラン劇団員の皆さんが 若手のお芝居をどーんと受け止めている頼もしさ (ここは演劇人的にキュンとくるポイント。こういう構図を見るとじわる。笑) 今回、おはぎが出てくるシーンがあって ここ、すごく良かったなぁ…。 セリフや大きなアクションではなく ほんの一瞬。 目線1つが主人公の想いの全てで この時の相手のささやかな選択が切ないほど関係性を語っていて そこにある全てのものに意味がある 研ぎ澄まされた瞬間。 切ないけどすごく好きなシーンでした。
(松村千絵様)

●終戦の年桜が咲き散るまでの二週間の悦子、永与、明石の青春を描く。 想い寄せる悦子を親友に託し志願する明石、好意を寄せる明石に敵艦を立派に撃沈してくださいと迫る悦子、悦子を託されてもなお本土決戦となればそのときはと明石に覚悟を告げる永与、何もかも不条理、矛盾に満ちている。卓袱台を囲んだ会話で時々飛び出す滑稽なやりとりが不条理を紛らわす。キンダースペースの永与は渥美清並みに小さい目を思いっきり見ひらき冷や汗を垂らしながら絞り出すようにしゃべる。黒木和雄監督の映画版をはるかにしのぐ滑稽さだ。戦時下の不条理のすべてが冒頭の現在の悦子と永与の会話『戦争はもういい』という言葉に収斂されていく。折しも観劇した23日は沖縄の地上戦が終結した慰霊の日。沖縄戦も、明石が死んだ菊水作戦も、広島、長崎への原爆投下も、樺太、満州の悲劇も、父母から聞かされた本土大空襲も、天皇裕仁が『もう一度戦果をあげてから』と和平交渉を先延ばししなければなかった1945年の悲劇である。身勝手な国家の指導者による悲劇はもうこりごりだ。
(斉藤功様)

●久しぶりに西川口のキンダースペースアトリエを訪れた。 「紙屋悦子の青春」の千秋楽観劇で、です。作者松田正隆氏は「風」と「高所見」が好きだ。この作品にも風があり裏山からは海が見える。  原田一樹氏はこの作品をどう演出されるのか楽しみにしていた。 舞台は三方を客席として、間仕切りの壁は紙用のような透かしがある。風は演技者を通して感ぜさせるものだが、原田氏は舞台も風通しの良い透明感のある壁にしている。  劇は演技者の視点が外へ向かうとき、観客の頭を越えていく。これが効果的に配されていた。ビルの屋上に風と、咲く桜と、風に散る桜と、そして風が運ぶ海の波の音の時である。あとはひたすら相手役を見つめての演技であり、集中度を高めて入る。  時代という他者の力が働く中、懸命の自力で生き、それを時を超える風と桜が包み込む。  劇の最後、「波の音の・・・」と聞き入る悦子の素敵な笑顔が、私達の頭を超えて、すごい印象を残す。 私達の頭を超えるものに生きる力が宿って入るかのように・・・ 観客は劇の進行を見守るだけでなく、最後には劇の人物を包み込む風になる。三方が客席なのは劇に必要なのだ。  原田一樹氏はいつも柔らかく暖かい風を創り出す。
(小山内秀夫様)