「演技」とは何でしょう。
少しでも舞台や映像での「演技」を経験したことがあれば、その難しさに心当たるはずです。リアリズム演劇の場合、戯曲に描かれているのは人間の暮らす普段の姿。言葉の意味さえわかれば演ずることなど難しくないはず。ところが人前に立ち、台詞を口にした途端、気づかされるのは自分自身がどれだけ不自由かということ。不自然かと言うこと。動きはぎくしゃく、目線は泳ぎ、感じるのは思いと動作が一致しない気味悪さばかり。その気味悪さを解消するために感情を追い、表情を作り、声を上げてみたり下げてみたり。結果、物語を伝える感動からはどんどん遠ざかっていく。しかしその時、気味悪さを感じるのはまだいい方で、見ている方にはおかまいなくただ感情に感情を上塗りして、不必要な間を開け、声のトーンばかりを気にして、それでやり遂げたなどと思っていると、戯曲がどれほどの深さをもっていようと何もかも台無しにするばかりです。
では、いい演技、俳優の役割、その存在感、とはいったいどこにあるのでしょうか。
ドラマに書かれている人間は、当たり前ですが、その世界で生きています。生きているということは、台詞を喋るということではありません。まして感情を作ったり、話し方の特徴でキャラクターを説明したりすることではなく、その一瞬一瞬に世界と出会うことです。その出会い方がどれだけ繊細か、祈りがあるか、まだ出会えていないということを感じられるか。生き方が劇的でなければ、演技が戯曲の根幹に触れることはありません。台詞は、「不可能」に向かうものです。台詞は他者と関係を結ぶためにのばされる手であると同時に、その裏側に自分をも欺く「嘘」を含んでいるものです。観客は、その「不可能」と「嘘」に刺激され、心を動かすものです。この「不可能」と「嘘」を、どれだけ感じられるか、それが俳優の感性です。
キンダースペースの連続ワークショップでは、テーマ別にテキストを選択、監修し、一貫してこの課題を参加者とともに探ってきました。
今年は三十周年に当たり公演企画も多いのですが、ご要望に応え以下の日程を組みました。このワークショップは戯曲のいちばん深い淵へ向かう旅です。東西の古典、隠れた名作、新進作家による意欲作まで戯曲作品の中から一部を抜粋して読み解き、会話を組み立て劇団員と共にアンサンブルを探り最終日の発表まで、ともに八日間の旅を楽しみましょう。
キンダースペースが現在も様々に行っているワークショップ、エクササイズも、紹介いたします。
※募集は各回ごと。基本、一年以上の舞台経験者を対象としておりますが、ご相談に応じます。